先輩インタビュー

18歳で単身鉾田へ移住。好きな海はすぐ目の前、家族5人で暮らす時間はプライスレス。

18歳で単身鉾田へ移住。好きな海はすぐ目の前、家族5人で暮らす時間はプライスレス。

Profile

冨澤賢太さん

移住前に土地を購入。未経験で建設大工として修行ののち、自身で自宅を建設。

17歳からサーフィンをしていたという埼玉県出身の冨澤さん。移住を決めたきっかけは、ご両親が田舎暮らしに興味を持ち鉾田を訪れたことでした。結局ご両親は移住を断念しましたが、冨澤さんはサーフィンが身近にあることを魅力に感じて、単身移住をすることに。移住後、未経験ながらも建築大工として修行を始めました。「波がいい日は仕事休んでいいよ」という親方の言葉に甘えて、サーフィンと大工仕事を両立。面倒見の良い会社の親方やおかみさん、先輩に支えられ、5年間の見習い期間を含め計13年間お世話になったそうです。その間、海が目の前の、サーファーには絶好のロケーションの土地に自宅を建設し、現在は、奥さん、息子さん、娘さん2人の5人で暮らしています。

 

奥さんとふたり暮らしの間はサーフィン三昧。今は子どもたちとスケボーを楽しむ充実の家族時間。

16歳で同級生だった奥様とお付き合いを始めた冨澤さん。埼玉県浦和市で美容師をしていた奥様は、冨澤さんの見習い期間が終了した22歳のときに鉾田にやってきました。当時はサーフィン未経験だった奥様も、移住後次第にサーフィンに熱中しはじめ、休みの日は2人でサーフィンを楽しむように。3人の子どもがいる今では、近くにあるスケボーパークで家族の休日を過ごしています。知り合いがいなかった移住当初から18年が経ち、商工会青年部としての活動、子どもの同級生の親同士のつながり、仕事関係の繋がりなど、今では多くの関係性ができています。

 

鉾田は新しいことにチャレンジする余白がある。

鉾田での課題のひとつが、”若い人がいない” という事実。一方で、農業や建築が盛んであり人が足りていないため仕事はたくさんある、新しいことをやるにはチャンスと語る冨澤さん。「東京は家賃が高いから、たとえ工場を持てたとしても、本当にやりたいことよりも、守っていかなければならない選択肢を選ばざるを得ない。つまり攻めよりも守りに入ってしまいがちになると思います。でも鉾田なら物価が安く土地が広いため新しいチャレンジがしやすい。鉾田で工場を持ったら、賃料が安いので好きな人にだけ売ることも、分割生産をして都内に持っていくこともしやすいのです。いろいろな選択肢があります」と続けます。加えて、鉾田は独自の文化が豊か。注文住宅の多い鉾田では、新築時に行う「餅まき」で紅白の一升餅などが投げられたり、鯉のぼりの “のぼり” は大工さん仕事でないと建てることが難しいほど大きかったり、七五三の祝い事が結婚式並みの規模で行われるなど、”田舎ならでは” の楽しさが盛りだくさん。移住者同士の関わりも多く、歓迎ムードで仲良くなりやすい点も魅力のひとつだそうです。

 

「思い切って移住をしてきてよかった。鉾田で子どもたちを育て、これからも海沿いのこの地に根ざして生きていきたいです」と子どもたちに温かなまなざしを向けながら語る冨澤さんでした。

 

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