「地元鉾田の海でサーフィンのメッカを作る」それがUターンで叶えた夢
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30年前はサーフィンが楽しめるような海岸ではなかった。
今では人気サーフィンエリアとして有名な鉾田も、約30年前は潮の流れが早くサーフィンが楽しめるような海岸ではありませんでした。日本のサーフィン三大地区のひとつと言われた茨城県阿字ヶ浦のスポットが、港の開発により消滅。茨城のサーファーがサーフィン難民として南北に散らばったことが転機になりました。そんななか、鉾田市(旧大洋村)出身の人見さんら地元のサーファーたちが「鉾田の海でサーフィンのメッカをつくりたい」という想いを胸に活動を開始。「まだ地元周辺の海でサーフィンができるの?」といった声が地元から多くあがりましたが、どのような過程で鉾田が人気スポットとなっていったのでしょうか?
鉾田サーファーと行政のタッグのもと、地元発信型で走り続けた30年間。
きっかけとなった出来事のひとつは、海岸浸食を防ぐことを目的とした“ヘッドランド工法”という建造物が造られ始めたこと。人工的に潮の流れが制御され、鉾田の海岸がサーフィンに適した地形となるにつれて、少しずつサーファーが集まるようになってきました。また、地元のサーファーだけが知っている“穴場スポット”をいくつかの専門雑誌に紹介したことで、地元内外のサーファーからの注目度も高まっていきました。
「本来は隠しておきたい場所だったのですが、逆転の発想として、地元のサーファーが通称で呼んでいるポイント名と共にいくつかスポットを紹介したのです」と語る人見さん。同時に鉾田町の「町長杯」というサーフィンコンテストを開催するなど、地元のサーファーと行政がしっかりタッグを組んだ“行政タイアップ型”の活動を展開。その結果、次第に全国のサーファーに知られるスポットとなっていきました。
老若男女問わず、サーフィンをする “きっかけ” を用意できればいい。
東京オリンピック以降、オリンピック競技としても採用されたサーフィン。「認知が上がり競技人口の裾野が広がっていく半面、膝下の小さな波でも遊べる初心者や親子向けのサーフィンや海遊びも広めていきたい」と人見さん。それゆえ、スポーツ競技としてのサーフィン、楽しむためのサーフィン、つまりどちらの方向性にも合致した環境づくりが、人見さんが今後取り組んでいきたいことのひとつです。 “自然相手の遊び” でもあるサーフィンには、波に “乗れる”“乗れない” 以外の部分でも楽しむポイントがあるそう。波だけでなく、風や気温、季節によって「常に変化する自然」を普段の生活の中で感じるようになると、価値観も一気に変わると人見さんは断言します。
「鉾田ってやっぱり良いところだよね!」と移住者・地元民みんなで改めて実感。
人見さんは、サーファーたちが鉾田の海へ向かう道のり、いわば「サーファー街道」の中にある、“ここへ寄らないと落ち着かない”各々の「フェイバリットスポット」 を知りたい、そこに地域が来訪者をおもてなしするポイントが隠されているように思う、と言います。「地元の人は地元自慢が苦手です。だからこそ、移住者が鉾田の好きなところや、地元の人が知らないような情報をどんどん伝えて発信してもらいたい。地元の人が鉾田の良いところを逆に知ることで『やっぱり鉾田っていいところだよね!』という認識を持ってもらえるとうれしい。さらに鉾田全体がハッピーになる循環を作りたいです」と熱く目を輝かせます。