先輩インタビュー

飲食業から農業へ! 人を喜ばせたいと思っていちごに巡り合い、そして鉾田にたどり着いた!

飲食業から農業へ! 人を喜ばせたいと思っていちごに巡り合い、そして鉾田にたどり着いた!

Profile

風早総一郎さん(36歳)
風早鈴加さん(34歳)

※取材:2022年12月

人と人との繋がりを感じる町

 

出身は千葉県松戸市。2012年に結婚し、子供は9歳、6歳、2歳、1歳の4人。鉾田市のいちご専業の村田農園で研修をするために2016年6月に鉾田市に移住し、その後、研修を経て2018年に自身の農園「風早いちご園」を立ち上げた。立ち上げ当初より銀座千疋屋を取引先に持つ実力派農園として、現在鉾田の農業を盛り上げる一人。

 

 

実は、最初は鉾田という字も読めなかった。実際引っ越してきて住んでみると鉾田、すごくいいですよ!東京からも一時間半で近いし、田舎だけど山奥の集落ではないのでよそ者お断り感もないので入りやすいし、この辺は成功している方も多いのですが、そういう方って優しいんですよね。僕たちもいろんな方々に助けていただきました。鉾田は昔のような古き良き日本の空気感が残っていて、いい意味でおおらかな雰囲気があります。人と人の繋がりを感じられるところです。鉾田の唯一の不満はピザ屋が無いこと(笑)。この前ピザ屋のキッチンカーが来て、すごく久しぶりに食べました。農家をやっていると仕事が終わって子供を抱えて料理作るというのはとても大変。もし出前がもっと便利になったら本当に助かるなと思いますね。それが唯一の要望です。

 

 

飲食業から農業に

 

僕は元々飲食業をしていました。ハンバーガーのお店でアボカドを扱うのですが、一度メキシコのストライキでメキシコ産のアボカドが全く入ってこないことがありました。その時に妻から、日本でもアボカドを作っているところがあるらしいということを聞いて、調べてみると愛媛県松山市がアボカドの栽培に取り組んでいることを知りました。これをきっかけに、日本で作れる野菜が増えればもっと安定して良いものを出せるのに、と思うようになり、漠然と農業をやってみたくなったのです。

 

 

 

飲食で独立したいという思いで働いていたのですが、子供がいるので先々のことを考えると飲食業では朝早くて夜は遅い、土日も基本仕事だったので子供との時間を作るのは厳しいだろうなと思っていました。そのタイミングで、アボカドの件もあり、ろくに調べもしないで勤務先のオーナーに「今年いっぱいでやめます」と伝えたんです。

 

その後、実際に松山市に行ってみると、当時アボカド一本で生計を立てている人はおらず、皆さん、みかん栽培をやりながらなど厳しい状況のようでした。しかも選ばれた農家しか、市からアボカドの苗を購入できない上に、植えても実になるのは早くて約7年とのこと。仕事を辞めてしまっていたので7年待つわけにはいかず、何か他にすぐにできる農作物を探す必要がありました。紹介されて葉物やミントなどの農家募集も見ていたのですが、オープンキッチンの飲食業をしていた私にとってはなんとなく物足りないというか、もう少し相手のリアクションが欲しい、皆さんに喜んでもらえるものが作りたいと思っていたところ、昔に妻とよく2人で行っていたいちご狩りを思い出して、「あ、いちごだな!」って。全部妻がきっかけなんですよ。

 

理想のいちごを探して辿り着いた鉾田市

 

いちご農家をやりたいと決心してからは、栃木、山梨、千葉などの近郊のところは自分で調べて行ってみたり、デパートの高めのいちごを買ってみたりと色々研究しました。でも直接農家さんへ行ってみても、そこで就職という感じではなかった。皆さん家族とか地域のパートさんだけで成り立っていたのでよそ者がどうこうできる感じではなかったんです。

 

 

そしてある日、ちょうど妻が録画していたテレビ番組を見ると、銀座千疋屋さんの特集をしていて、千疋屋にいちごを卸している農家さんとして茨城県鉾田市の村田農園が紹介されていました。それを見た翌日に村田さんのいちごを買いに行き、食べてみたらびっくり!すごく美味しくて綺麗で、初めていちごに感動しました。その後も村田さんの農園からいちごを取り寄せてみたりして、「やっぱりこれだ」と。そこから村田農園に電話して、経緯を話して勉強させてほしいことを伝えました。

 

実は村田さんのサイトでパート募集と書いてあったのを見ていたので、パートでもなんでも良いので学ばせて欲しいという思いが強かったこともあり、お会いするまでの10日間の間に鉾田市内の不動産屋さんに行って村田農園の近くでアパート借りてしまったのです。そして面接させていただいて、半ば強引に承諾していただきました(笑)。農業の厳しさなどもお話しいただいたのだけどそれどころではなく、やらせてください、という一心でした。なので、僕の場合は移住に関して計画があったわけではなく、いちご農家をやるんだというところから、村田農園のある鉾田市に辿り着きましたね。

 

 

鉾田の皆さんに支えられて

 

最初は移住という認識はなく、2年間だけ鉾田の村田さんの下で修行し、その後は千葉に戻って独立したいと思っていました。村田さんから早めに農地を探した方がいいとアドバイスをいただいたので千葉県で1年目から農地を探し始めていたのですが、千葉県農地・農村振興課の方に相談した際に、「茨城で研修し、千葉県で土地を購入して農業するのは厳しい」と言われました。農地を購入するにはその地域の農業委員会に計画書を出して委員全員がOKしてくれないとできない、ということだったのです。そして、研修も2年目に突入。鉾田の農家さんの知り合いも増え、話を聞いていく中でむしろ鉾田の方が良いのではないかと思い、鉾田で農地を探し始めました。しかし、鉾田も畑は多いけれど皆さん現役なので空きが出てもすぐに貸り手が見つかってしまうんですね。この現状を知って、尚更他の土地で一から始めるのは難しいと思いましたね。農地が見つからないまま時が過ぎ、村田さんからも心配していただき、「どうしてもなければ社員になってもいいよ」と言っていただいたのですが、自分の中では独立を決めていました。

 

 

しばらくしてその決意を皆さんに感じ取っていただいたのか、ある方から今の土地を紹介いただいて、実はもうすでに買いたいという人がいたらしいのですが、「村田さんのところの人なら」ということで特別に譲っていただいたんです。もし何も知らない人に貸して変な肥料を撒かれたりしたら土が変わってしまい全く野菜が取れなくなるし、元に戻るのに何十年もかかる。外から来た人に簡単には貸せないという意味が、自分達で農業をしてみて初めてわかったんです。

 

移住する際にどうしてそこなのかという理由はしっかり考えたほうがいいと思いますね。なんとなく移住して農業を始められるかって言ったらそうでもない。農業のやりやすさはその地域によって違うので、よく検討した方がいいと思います。僕らはたまたま恵まれた鉾田で、たまたま村田さんに知り合えたのでこのようにスタートできたけれど、もし違う場所だったら農業は出来なかったとも思います。そういう経緯があって「鉾田」という場所に助けられ、感謝もあってロゴに“HOKOTA”の字を入れています。鉾田は名人が多いし、皆で農業を盛り上げようという雰囲気があるので、農業で移住する場合は、学ぶチャンスは多いと思いますよ。

 

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